(本記事は、前編「『若者は保守化した』のか 2020年代の社会運動を担う若者たち(26年9月28日公開)」の後編です)

前編では、2020年代の若者の政治的価値観と、実際に社会運動に参加している若者たちについて見てきた。現代の若者は単純に「保守」「リベラル」と分類できるわけではなく、社会運動に参加する若者もまた、さまざまな背景を持っている。

では、こうした2020年代の社会運動は、かつての全共闘世代と何が違うのだろうか。そして、異なる世代が連帯するには何が必要なのだろうか。後編では、この点について考えていきたい。


全共闘世代と2020年代の若者は何が違うのか

2020年代の若者による社会運動は、1960年代末から1970年代初頭の全共闘運動とは大きく異なる特徴を持っている。

デモやストライキといった従来型の社会運動に加え、SNSを活用したアクション、オンライン署名、アドボカシー、政策提言など、参加の形は多様化している。一方で、「世代」や「界隈」の違いによって、互いの運動が見えにくくなるという新たな課題も生まれている。

ここでは、2020年代の若者による社会運動の特徴を、全共闘世代の運動と比較しながら、その違いを整理していきたい。

まず挙げられるのが、運動を支える共通の思想や知識の存在である。1960年代末の学生運動には、「マルクス」や「吉本隆明」といった共通の前提知識、いわば運動における「バイブル」が存在し、それらが一定程度共有されていた。一方、2020年代には、世代全体で共有されるような一つの「バイブル」は存在しない。SNSなどを通じて、それぞれが異なる情報環境の中で活動しているためだ。

さらに、社会運動を取り巻く環境も異なる。1960年代には学生運動を社会が応援する空気があり、大学内においては運動に参加しない側が少数派ともいえる状況だった(という時もあった)。それに対して現在は、「デモをすると就職できない」といったインターネットに晒されることによるリスクや社会的評価のリスクを意識する傾向があり、そもそも政治に関心を持つ人自体が少数派である。そのため、SNSを用いた「カッコ良くおしゃれな運動」に見せるためのメディア戦略を工夫し、参加の障壁を下げる工夫もある。

大学生を取り巻く生活環境も変化した。かつての「暇な大学生」とは異なり、現在の学生にはインターン、条件の厳しい奨学金、厳しい単位認定、上昇する学費、長期化する就職活動など、多くの負担が存在する。社会運動に参加するための時間的余裕そのものが小さくなっている。

運動のスタイルにも違いがある。

昭和期では、「委員会」や「全学連」などの組織や動員された数が重視され(1)、デモ、ストライキ、ビラ配布などが主要な手段だった。また、多くの運動では、個別の社会問題への取り組みの背後に、資本主義批判や反帝国主義など、より大きな社会変革の理念が存在していた。

これに対して2020年代の若者の運動は、個別の課題を解決するための具体的な手段を探る傾向が強い。生活改善や人権保障を重視し、女性が多い傾向や団体内部での平等も特徴として挙げられている。

また、一つの組織に長期間所属することよりも、キャンペーン単位で参加できること、そして家庭や進路の都合など、個人の事情に応じて抜けやすいことが重視される。SNSによって運動への参加が容易になったことも大きな違いとして挙げられる。
(1)そのなかでは、全共闘のような組織を重視しない運動体の登場は革新的だった。


「界隈」の時代に生まれる分断

現代の社会運動を考えるうえで重要なのが、「エコチェンバー」と「界隈」という概念である。

エコチェンバーとは、SNSなどで自分と似た考えを持つ人の情報ばかりが集まり、同じ意見が強化されていく状態を指す。「周囲がみんな同じ意見だから、自分たちの考えが正しい」と感じやすくなる。「蓮舫さんが勝つと思っていた」「参政党支持者なんてどこにいるの?」といった具合である。

「界隈」とは、同じ趣味や話題、価値観を持つ人たちが集まる小さなグループを指す。「サウナ界隈」「鉄オタ界隈」などが挙げられる。こうした概念は、社会運動にも同様に存在しており、「政治好き界隈」「批評界隈」「学内運動界隈」「議員インターン界隈」「外山界隈」「アンティファ界隈」など、それぞれ異なる「界隈」が存在しており、微妙に混ざりつつも異なるコミュニティを形成している。

かつてのような「お茶の間」で多くの人が同じメディアを見て、同じ情報を共有する環境は衰退した代わりに、それぞれの界隈で一定の影響力を持つ「界隈のインフルエンサー」が大きな影響力を持つようになった。その結果、人によって見ているメディアも、支持する人物も、使う言葉さえも違ってくる。政治的な活動をしている人同士であっても、別の「界隈」にいることで、互いの存在や考え方が見えなくなる可能性がある。

現代の政治シーンにおける分断は、単純な政治思想的対立だけではなく、情報環境そのものの違いによって生まれる分断でもある、という点は注意しておく必要がある。


異なる立場をつなぐ「インターセクショナリティ」

現代における社会運動同士の連帯を考える際には、「インターセクショナリティ(交差性)」という概念も重要になる。

これは、人種、国籍、社会階層、ジェンダー、セクシュアリティ、障害、年齢など、複数のアイデンティティが交差することで生じる差別や抑圧を理解するための枠組みである。この概念は、1980年代のアメリカのフェミニズム運動において、黒人女性が経験する「人種差別」と「性差別」がそれぞれ独立した問題ではなく、交差することで二重の抑圧を生み出していることを可視化するために生まれた。

この考え方を社会運動に当てはめれば、それぞれの団体や運動が自分たちの課題だけを見るのではなく、異なる社会問題の背後にある共通点や交差する課題を見つけることが、連帯につながる。


心理的安全性とマンスプレイニング

心理的安全性とは、誰も排除しない、誰も安心して参加できるための環境づくりを重要視する概念である。これを担保するために、社会運動の組織やイベントにおいて、グラウンドルールや情報保障を徹底することが近年のスタンダードとなっている。グラウンドルールとは、心理的安全性を担保するための空間のルール、心がけのことを指し、デモやイベントなどの場で設定され、「他者の考えを尊重する」「人格否定をしない」「見た目で個人の属性を決めつけない」「目的と関係のない主張は行わない」などの例がある。

マンスプレイニングとは、こちら側は説明を求めていないのに、主に(年長の)男性が(若い)女性に対して「自分のほうが詳しいはずだ」という前提で上から説明する「説明したがる行為」および、それに快感を覚えている態度のことを指す。問題なのは、説明することそのものではなく、「知らないだろう」という無意識の思い込みや見下しが含まれているという点である。これは女性だけでなく、若者に対して一方的に説明したりすることも似た構造になる。特に多世代が交流するイベントや飲み会などで散見され、本来の企画趣旨から外れて「若い人に話を聞いてほしい」「女性とおしゃべりしたい」といった目的で、一方的に企画内容と関係のない話を続ける主に年長の男性の事例も複数報告されている。年齢差から圧倒的な権力勾配が生じることは避けられない。だからこそ、こういった言葉の存在を知っておくことが、予防に繋がるのだ。


世代間の分断をどう乗り越えるか

このように、現代の若者と、かつて社会運動を担った世代との間には、価値観だけでなく、使う言葉、知識、組織文化、社会運動に対するイメージなど、さまざまな違いがある。

だからこそ、世代間の連帯には、単純に「昔の運動を若者が学ぶ」「若者の運動を年長者が理解する」だけではない相互理解が必要になる。

そのための考え方として、私は「世代間の壁を乗り越えていくための8か条」を提案したい。

一、常識を疑い常識を守る
社会変革を志す以上、社会のルールや常識を常に疑い、変化を促していくマインドは忘れてはいけない。一方で、社会の中で広く共有されている常識やルールは把握し、必要に応じて守る態度をあえて演じることを心がける必要がある。一般大衆との感覚がズレていては、多くの人の心に響き、社会全体を動かす運動は展開できない。「終わりの時間を守らない」「連絡が雑で失礼」「清潔感がない」「横柄な態度で接する」などは論外だ。一定の社会常識とビジネスマナーは身に着けたほうが良い。

二、考え方が違うかもしれないことを意識する
政治をテーマにしたイベントで、シニア世代が一方的に政権批判的な発言を繰り返し、若者に同意を求めるようなシーンを見かけるが、目の前の若者が政権に批判的かどうか、まず相手の考えを聞くことを忘れてはならない。「自分も自民党が嫌いだから相手も自民党が嫌いに違いない」という前提で一方的に話し続けると、聞いている側を困惑させてしまう。特に交流の場においては、双方向のコミュニケーションが大切だ。

三、名前の呼び方には気をつけよう
世代間の関係では、距離感や上下関係が呼び方に表れやすい。いきなり「お嬢ちゃん」「○○くん」といった呼び方をせず、「なんとお呼びすれば良いですか」と本人に確認するのが最適である。

四、マンスプおじさんにならない
おじさんだけでなく、全ての人が注意しよう。詳細は前述の通りである。

五、デジタルツールや用いる言語で排除しない
世代によって使い慣れたツールや言葉が異なる以上、それを理由に参加しづらい環境をつくらないことが必要になる。私たち若者世代は、スラックやLINEオープンチャット、UDトーク、Peatixなどのデジタルツールで、シニア世代を排除することがないよう注意するべきだし、シニア世代は「吉本(隆明)」「マル学同」「明大全共闘」などの固有名詞や出来事の名称などを解説なく使って、若い世代を排除しないように気を付けるべきである。

六、社会運動史から成果と失敗を学ぼう
過去の運動を単純に否定するのでも、無条件に礼賛するのでもなく、何が成果につながり、何が失敗につながったのかを、若い世代が積極的に学ぶことが重要である。そのためにはお互いが世代間の分断を乗り越え、コミュニケーションをとっていくことが大切だ。

七、世代を超えたリスペクトを忘れずに
シニア世代は、若者世代を「若いから何も知らないだろう」という偏見で接してはいけないし、若者世代だって、シニア世代に対して「ただの老害だ」と馬鹿にしてはいけない。それぞれの世代が、別の世代にはない経験や強みを持っていることもあり、世代を超えたリスペクトの姿勢が求められる。

八、断絶を回避し、緩やかな連帯を目指そう
上記の七つの心がけを意識すれば、世代間の断絶は避けられる。一方で、世代間の違いをなくすことは無理だし、その必要はないと思う。それぞれに得意とするやり方があり、慣れ親しんできた動き方も違う。だから、完全に一心同体で行動する必要はない。

むしろ、共に同じ方向を向きながら、それぞれが自分の得意なフィールドで活動し、必要なときに協力する。そんな「緩やかな連帯」のほうが、長く続くのではないかと思う。

シニア世代から「若い人たちは頼もしい、応援している」と言っていただくことも多く、それはありがたい。けれども、若い世代からすると、勝手に期待を押しつけて、あとは「若者に任せた」と逃げないでほしい、と思ってしまうこともある。私たちには、シニア世代の力が必要なのだ。シニア世代が持つ知識や経験は、これまでの社会運動が積み重ねてきた大きな財産なのだから、勝手に引退宣言をせず、どうか一緒に闘ってほしいと願っている。

全共闘世代と2020年代の若者では、社会運動を取り巻く環境も、使う手段も、社会に対する問題意識の持ち方も異なる。だからといって、どちらかが正しく、どちらかが間違っているということではない。重要なのは、異なる世代が無理に一緒に活動することではなく、それぞれの経験や強みを持ち寄りながら、必要なところで連帯できる関係をつくることだろう。

現代の若者の社会運動は、SNSを中心とした情報環境の変化や、参加のハードルを下げる新しい手法によって、多様な形へと広がっている。一方で、「界隈」ごとの分断や、運動に参加する層の偏りといった課題も抱えている。過去の社会運動には、現在の運動にはない組織力や歴史的経験がある。現代の若者には、個別の課題への柔軟な対応や、参加しやすさを重視する文化がある。

世代間の違いを断絶の理由にするのではなく、その違いを前提にして対話する。そのうえで、過去の成果と失敗を学び、互いの経験を尊重しながら、無理に一つになるのではなく「緩やかな連帯」をつくっていく。

それが、これからの社会運動を考えるうえで重要な視点となると同時に、社会運動を広げていくための大きな一歩になると信じている。