2026 年 6 月下旬。新宿駅南口のとあるデモに、私は脚を止めた。
知り合いとの東南口での約束時間は、あと 5 分に迫っていた。脚を止めている場合ではない時に、私は脚を止めざるを得なかった。今となっては、その理由が街頭宣伝に対する特殊な、というより私にとっては普遍的な好奇心からなのか、あるいは、その街宣があまりに魅力的で惹きつけられたのか、あまり思い出せない。とにかく、その街宣に引き込まれていった。
「愛子天皇じゃダメですか」
一瞬、右翼のデモかと思った。だから惹きつけられたのかもしれない。
しかし、流れているのは闘志を唆られるような重低音の音楽で、白髪のイケオジ風の男性がマイクを持っている。雑踏の新宿に、地面から震え響くような音が広がっていた。理屈ではなかった。声をかけざるを得なかった。東南口での待ち合わせ時間まで、あと 3 分。
周囲にいた関係者と思しき女性に近づき、「このデモはいつまで、何時までやっていますか」と尋ねた。女性はにこやかに応対し、流れるようにビラを渡してくれた。
「これ、ビラですか。かっこいい……」
妙に洗練されていたのだ。表面は日本語、裏面は英語。黒と白が基調で、デモの、ましてや皇室関係のデモのビラとは思えないほど垢抜けている。その場で取材をする時間はなかったため、連絡先を交換し、後日、マイクを持っていた主催者の久保田氏に話を聞くことになった。
取材場所は、横浜駅西口のとある喫茶店だった。
店内は喫煙可だったが、久保田氏も私も煙草は吸わない。クラシックが流れ、椅子やテーブルには古風で上品な雰囲気がある。880 円のアイスコーヒーを頼み、話を始めた。
きっかけは小室眞子さんの結婚騒動
久保田氏が YouTube チャンネルを開設したのは、2020 年 9 月だった。小室眞子さんと小室圭さんの結婚をめぐり、メディアが連日のように騒いでいた頃だ。小室眞子さんの結婚騒動。そのなかで久保田氏が疑問を持ったのは、当事者から十分な説明がないまま、淡々と物事が進んでいくことだった。
「本来ならば、皇室と国民の信頼関係が必要でしょう。それで戦後 80 年やってきている。国民あっての皇室だと思っているんです」
久保田氏には、それ以前から「皇室はあるべきものだ」という漠然とした認識があった。ただ、それは皇室が無条件に存在し続けるべきだということではない。皇室は、国民との信頼関係のもとに成り立つものだと考えている。だからこそ、結婚する前に説明すべきことがあるのではないか。皇室を支えている国民に対して、筋を通すべきところがあるのではないか。小室さんの母親をめぐる問題も明らかにならないまま、結婚の話は進んでいった。2021 年春頃から反対署名を集め、横浜年金事務所に提出した。しかし、その後も結婚に向けた動きは進んだ。
「署名を出しただけではダメだった」
2021 年夏頃から、街頭でデモを始めるようになった。現在まで、5 年ほど続いている活動になる。SNS では、すでに皇室問題に関心を持っている人にしか情報が届かない。普段は皇室について考えない人や、そもそも政治的な情報に触れない人には届かない。
「SNS では絶対に届かない人がいる。アナログが一番だなと思ったんです」小室夫妻の結婚反対から始まった活動は、その後、宮内庁の説明責任を問うものへ変わった。次の天皇を支える宮家や、皇室の未来を考えた時、国民の賛同を得られないまま物事が進んでいくことは適切なのか。個別の結婚問題を入口に、問題意識は皇室と国民の関係そのものへ広がっていった。
怒るデモは誰に届くのか
以前は、怒りを前面に出したデモを行っていたという。しかし体調を崩し、活動を 1 年間休んだ。その間、さまざまな人と接し、デモが外からどう見られているのかを考えるようになった。
「多くのデモは怒りに任せてやっているけれど、そこで満足しているのは当の本人たちだけ。外から見ている人は、かなり白けているんですよね」
届けたい相手に届いていなかった。そこで久保田氏は、デモのやり方を変えた。
ビラ、企画、音楽は、すべて自分で手がけている。コンセプトは「デモっぽくない」ことだ。ビラも、いかにも政治運動らしいものではなく、雑誌のようなデザインを意識した。表面は日本語、裏面は英語である。「皇室っぽくない」「日本っぽくない」と批判されることもあるという。しかし、既存の表現では、外には広がらない。普段は皇室に関心を持たない人にも、まず立ち止まってもらう必要がある。その成果か、参加者には主婦など、普段は他の社会運動やデモに参加しない人も多い。YouTube で活動を知った人が協力し、デモに参加している。
久保田氏は、自分の立場を「保守リベラル的」と表現する。伝統は大事だと思う。その一方で、人権や権利も守るべきだと考えている。既存の保守運動にも、左派リベラルの運動にも、簡単には収まらない。リベラル左派系のデモと連携しようとしたこともあったが、相手にされなかった。皇室関係の街宣は、どことも結びつきづらいという。保守系はすでにガチガチに固まっている。SNS 上では「何かやろう」と応じる人も、実際に街頭へ出るとなると協力してくれない。
久保田氏は、さまざまなデモを見てきた。そこで強く感じたのは、人が集まること自体を目的にしてはいけないということだった。安倍晋三元首相の国葬反対デモを見た時も、人が集まったところで、それだけで何かが変わるわけではないと感じたという。
「客観的に見た時に、どう映るか。単に目に止まったからといって、その後に考えるところまで行けるかというと、そうではない」
人が集まる、盛り上がる、動画が拡散される。そこで終わっていては、仲間内の活動になってしまう。街頭でたまたま目にした人が、その後も少し考える、誰かと話す 、問題を自分のものとして受け止める。そこまで届くために、どう見せるかを考えている。
新宿駅南口で私が足を止めたことも、その試みが実際に届いた一例だったのかもしれない。
「愛子天皇じゃダメですか?」の疑問形
久保田氏は、現在の皇室典範改正をめぐる議論の進め方に強い疑問を持っている。
「国民に見えないところで、与党の代表者を中心に議論が進んでいる。国民が正確に理解した上で、意見を交わせるような体制にはなっていない。日本国憲法を前提とするならば、現在の制度は象徴天皇制であり、天皇が国民統合の象徴である以上、そのあり方については国民の理解を得られる説明があるべき」
「国民に隠そう、国民の知らない場所で変えようというのは、国民と皇室の信頼関係を崩すことになる。皇室自体が形骸化しているなかで、このままだと皇室がなくなってしまうのではないかという危機感があります」
国民が皇室について知り、理解できる環境をつくる。それが未来の皇室を守ることにつながると久保田氏は考えている。久保田氏は、基本的には愛子天皇を支持している。ただし、活動の目的は「愛子天皇にしてください」と訴えることではない。だから、「愛子天皇にしよう」ではなく、「愛子天皇じゃダメですか?」という疑問形になっている。
問いたいのは、政治がなぜ議論をしない・させないのか、ということだ。各種世論調査では、愛子天皇を支持する割合が過半数を超えている。
「個々の調査の母数は限られていても、過半数を超える意見が存在する以上、政治にはそれに向き合う義務がある。それを「伝統」という言葉で蓋をし、議論そのものを封じるのは違うのではないか。天皇が国民の象徴であるなら、国民が望む人がなることを議論してもよいはず。愛子天皇への期待が大きいのであれば、少なくとも選択肢には上げるべき」
男系男子こそ伝統だ、という主張についても、久保田氏は疑問を持っている。
「140 年ちょっとでしょう。歴史上、女性天皇は 8 人 10 代いる。その伝統は伝統じゃないのかと思う」
ここでいう伝統とは、何を指すのか。長く続いてきたもののうち、都合のよい一部分だけを取り出して絶対視することは、本当に伝統を守ることになるのかーー伝統という言葉は、議論を封じるために使われることがある。しかし実際の伝統は、時代のなかで少しずつ形を変えながら残ってきたはずだ。変わらないことだけが伝統ではない。