※本記事は、執筆者の意向により、【ひらがなのみ】及び【漢字かな交じり】の文を記載しています。
【ひらがなのみ】
とうきょうだいがくは あいぬ みんぞくや りゅうきゅう みんぞくの いこつを ぬすんだままに している。そのように きくと、 どう おもう だろうか。「え、 そんな ひどい ことが おきているの?」 「やっぱり そういう ことを やりそうだ」「さすがに おおげさに いっている のではないの?」そのような はんのうが よそう される。
1888ねんと 1889ねんに とうきょうだいがくの いがくぶ、 こがねい・よしきよ【小金井良精】は だいがくの しごとの いっかんで あいぬの いこつを ぬすんだ。やみよに まぎれて おはかを あばいたのだ。この ひとが ずがいこつを もっている どうぞうは 2026ねん げんざいも いがくぶに かざってある。 1904ねんに とうきょうだいがくの りがくぶ、 とりい・りゅうぞう【鳥居龍蔵】は だいがくの しごとの いっかんで、 りゅうきゅうの いこつを ぬすんだ。そのほかにも ぬすんだ ひとが いて、2026ねん げんざい、 とうきょうだいがくには 31にん いじょうの ひとの いこつが のこされている。
このような しょくみんちしゅぎの もんだいに とりくみ、 もと あった ところに いこつを だいがくが かえす ように もとめる のが、 とうだいいこつへんかんぷろじぇくと【東大遺骨返還プロジェクト】である。とうだいいこつへんかんぷろじぇくと【東大遺骨返還プロジェクト】は、 この ぶんしょうを かいている わたくし、 さいとう・まの など、 とうきょうだいがくの がくせいを ふくめ、 いろいろな ひとが めんばーと なっている だんたい である。2023ねんに できて、2026ねんで よねんめに なる。めんばーは 40にん ぐらいで、 そのとき そのときで うごく ひとが かわる。めんばーの なかには、りゅうきゅうに るーつを もつ ひとや、 あいぬに るーつを もつ ひとも、 わじん【和人】または やまと【大和】に るーつを もつ ひとも いれば、 ちょうせんに るーつを もつ ひとや ぶらじるに るーつを もつ ひとも いる。とうぜん、 みっくするーつを ひきうける ひとも いる。
われが この もんだいに とりくむ なかで、 こまるのは、 とうきょうだいがくの がくせいの はんのうの わるさ である。ほかの だいがくも ぬすんでいる とは いえ、とうきょうだいがくの もんだい でも ある。そのため、 とうきょうだいがくの がくせいにも ひろく よびかけている。しかし、 いっぱんてきに はんのうは よくない。きほんてきに よい はんのうを する ひとの おおくは、 とうきょうだいがくに しょぞく していない ひと である。もちろん、 とうきょうだいがくの がくせい でも、 れいがいは なんにんか いる。そして、 すごく ねっしんに とりくむ とうきょうだいがくの がくせいも いる。しかし、 しゅうだん としての とうきょうだいがくの がくせいの うごきは こころもとない ところが げんじょう である。しょくみんちしゅぎに さんせい なのか、 かがいに むかんしん なのか、 いそがしすぎるのか。いろいろと りゆうは かんがえられる。ともかく、しゃかいうんどうに まきこむ むずかしさを かんじる。
それにたいして、 わたしが うんどうを していて よろこびを かんじるのは、すこしは いこつを かえす ながれに こうけん できていると かんじる とき である。2024ねん まで むしを きめこんでいた とうきょうだいがくは、 いろいろな しゃかいてきな はいけいも あり、 いこつを かえそうと する うごきを みせる ように なってきた。もちろん、 かえしたくない せいりょくも いる なかで、 どのように かえす ながれを すすめるかは いまだに じゅうよう だ。しかし、 おおきな へんかの ただなかに いると かんじる。そして、 その いちぶは、 われわれの かつどうに ある とも かんがえられる。そこに よろこびは かんじられる。
しかし、 そのように われわれが おおきな ながれの いちぶを かたちづくる ことが できるのは、 さまざまな ひとびとの おかげ である。とくに、 とうだいいこつへんかんぷろじぇくとの めんばーも めんばーで ない ひとも ふくめて、 あいぬ みんぞくの かたがたや りゅうきゅう みんぞくの かたがた には かんしゃ しても しきれない。ぬすんだ そしきの にんげん である がくせい にも、 あたたかく たいおう して いただき、 かつどうを つづけてこられている。また、 だいがくの めんばー では ない わじん【和人】の かたがたにも たすけられている。この かた たちが とうきょうだいがくを ひはん しているのを みた のが、 わたしが かつどうを はじめた きっかけの ひとつ だった。
こんごの かつどう としては、 けいぞくてきな とりくみが ひつように なると かんがえる。もちろん、 たんきてきに いこつを いっこくも はやく かえさなければ ならない。しかし、 もんだいは ねぶかい。あいぬの かいばさわ・ひろし【海馬沢博】 さんが 1980ねんに ほっかいどうだいがくへ いこつに ついて といあわせてから そろそろ 50ねん ほどに なる。りゅうきゅうの まつしま・やすかつ【松島泰勝】さんが 2017ねんに きょうとだいがくへ いこつに ついて といあわせてから そろそろ 10ねん ほどに なる。おおくの ひとが ながねん かけて つくった ながれが ある。それで かいけつ できていない もんだいを わたしたちが くわわる だけで かいけつ できる わけも ない。しかし、 りゅうきゅうみんぞくの まつしま【松島】 さんは、 2025ねんに 「うんどうの はじめ とは ぜんぜん ちがう。いまの ほうが はんのうが よい」と いっていた。つづけて、 ひろげて、 そして かえていく。とうきょうだいがくが ぬすんだ さまざまな みんぞくの いこつを すべて かえし、 ぶんかざいも かえし、 しょくみんちしゅぎと さべつを おわらせる そうした ばしょに かえていく ことを ねがう。そして せかいを そのような ばしょに かえていきたい。
【漢字かな交じり】
東京大学はアイヌ民族や琉球民族の遺骨を盗んだままにしている。そのように聞くと、どう思うだろうか。「え、そんなひどいことが起きているの?」「やっぱりそういうことをやりそうだ」「流石に大げさにいっているのではないの?」そのような反応が予想される。
1888年と1889年に東京大学の医学部、小金井良精【こがねい・よしきよ】は大学の仕事の一環でアイヌの遺骨を盗んだ。闇夜にまぎれてお墓を暴いたのだ。この人が頭蓋骨を持っている銅像は2026年現在も医学部に飾ってある。1904年に東京大学の理学部、鳥居龍蔵【とりい・りゅうぞう】は大学の仕事の一環で、琉球の遺骨を盗んだ。その他にも盗んだ人がいて、2026年現在、東京大学には31人以上の人の遺骨が残されている。
このような植民地主義の問題に取り組み、元あった所に遺骨を大学が返すように求めるのが、東大遺骨返還プロジェクト【とうだいいこつへんかんぷろじぇくと】である。東大遺骨返還プロジェクト【とうだいいこつへんかんぷろじぇくと】は、この文章を書いているわたくし、さいとう・まのなど、東京大学の学生を含め、いろいろな人がメンバーとなっている団体である。2023年にできて、2026年で四年目になる。メンバーは40人ぐらいで、その時その時で動く人が変わる。メンバーの中には、琉球【りゅうきゅう】にルーツを持つ人や、アイヌにルーツを持つ人も、和人【わじん】または大和【やまと】にルーツを持つ人もいれば、朝鮮にルーツを持つ人やブラジルにルーツを持つひともいる。当然、ミックスルーツを引き受ける人もいる。
われがこの問題に取り組む中で、困るのは、東京大学の学生の反応の悪さである。他の大学も盗んでいるとはいえ、東京大学の問題でもある。そのため、東京大学の学生にも広く呼びかけている。しかし、一般的に反応はよくない。基本的によい反応をする人の多くは、東京大学に所属していない人である。もちろん、東京大学の学生でも、例外は何人かいる。そして、すごく熱心に取り組む東京大学の学生もいる。しかし、集団としての東京大学の学生の動きは心もとないところが現状である。植民地主義に賛成なのか、加害に無関心なのか、忙しすぎるのか。いろいろと理由は考えられる。ともかく、社会運動に巻き込む難しさを感じる。
それに対して、わたしが運動をしていて喜びを感じるのは、少しは遺骨を返す流れに貢献できていると感じる時である。2024年まで無視を決め込んでいた東京大学は、いろいろな社会的な背景もあり、遺骨を返そうとする動きを見せるようになってきた。もちろん、返したくない勢力もいる中で、どのように返す流れを進めるかはいまだに重要だ。しかし、大きな変化のただなかにいると感じる。そして、その一部は、我々の活動にあるとも考えられる。そこに喜びは感じられる。
しかし、そのように我々が大きな流れの一部を形作ることが出来るのは、様々な人々のおかげである。特に、東大遺骨返還プロジェクトのメンバーもメンバーでない人も含めて、アイヌ民族の方々や琉球民族の方々には感謝してもしきれない。盗んだ組織の人間である学生にも、暖かく対応していただき、活動を続けてこられている。また、大学のメンバーではない和人【わじん】の方々にも助けられている。この方たちが東京大学を批判しているのを見たのが、わたしが活動を始めたきっかけの一つだった。
今後の活動としては、継続的な取り組みが必要になると考える。もちろん、短期的に遺骨を一刻も早く返さなければならない。しかし、問題は根深い。アイヌの海馬沢博【かいばさわ・ひろし】さんが1980年に北海道大学へ遺骨について問い合わせてからそろそろ50年ほどになる。琉球の松島泰勝【まつしま・やすかつ】さんが2017年に京都大学へ遺骨について問い合わせてからそろそろ10年ほどになる。多くの人が長年かけて作った流れがある。それで解決できていない問題を私たちが加わるだけで解決できるわけもない。しかし、琉球民族の松島【まつしま】さんは、2025年に「運動の初めとは全然違う。今の方が反応がよい」と言っていた。続けて、広げて、そして変えていく。東京大学が盗んだ様々な民族の遺骨を全て返し、文化財も返し、植民地主義と差別を終わらせるそうした場所に変えていくことを願う。そして世界をそのような場所に変えていきたい。