9月13日投開票の沖縄県知事選が8月27日に告示された。直前の25日に下地幹郎元衆院議員が不出馬を表明したことから、オール沖縄系で革新の現職・玉城デニー知事と、前那覇副市長で保守系の古謝玄太による事実上の保革一騎打ちという構図になった。私は玉城デニーの3選を望んでいるが、その勝利を揺るぎないものにするためには、大きく分けて3点に留意すべきだと思う。
まずはじめに、組織力の強化である。玉城を支えるオール沖縄は、辺野古新基地建設反対という1点を共闘条件として、保守政治家の翁長雄志前知事を中心に2015年に結成された政治勢力である。結成当時は、保革の枠を超え幅広く政党や経済界の支援を受けていたのだが、10年経ったなかで保守系や有力企業が離脱した結果、現在のオール沖縄には革新政党しか残っておらず、その各党間でも対立がある状況だ。沖縄社会大衆党と立憲民主党は仲が悪く、社民党は、先の衆院選において沖縄2区で元社民党の現職に対抗馬を立てた影響から現職地方議員の離党が相次ぎ、他党と対立する余裕もない。前回の知事選において、玉城陣営については選対本部を含めて「後援組織の弱体化が進んだ」、「ほぼ手弁当でボランティアが頑張っている」という印象を持ったが、今回は、更に人が離れていると聞いている。古謝陣営は、経済界の強力な支援を中心に、自民、公明、参政などの国政政党が推薦を出し、盤石の組織力を誇っているのだから、連合系労組や共産党等の組織力を存分に用い、他の革新政党の底力を引き出して選挙戦を進める必要がある。
次に、広範な県民の支持である。結成当初のオール沖縄が県議会議員や那覇市議会議員、多くの首長の協力を得られたのは、翁長前知事の各政党に対する調整力だけではなく、政治対立を国VS沖縄という構図として可視化させ、革新支持者のみならず、本来は保守系を自認する県民の支持をも得ることができ、「島ぐるみ」で要求を国に訴えていたからに他ならない。今回の選挙直前における下地の不出馬は、国が沖縄自民の頭を飛び越えて下地と交渉し、勝手に政策協定を結んだことによるとされており、県選出の自民所属国会議員や沖縄自民幹部から不満の声が挙がっている。従来から、沖縄自民内部には国の一方的な政策決定に対する不満があるとされており、例えば2024年、防衛省によるうるま市での自衛隊訓練場建設計画が発覚した際には、地元住民の反対の声に突き動かされた結果、市議会と県議会が保革の枠を超え、全会一致で反対決議を出すことができた。玉城は、翁長と違って保守系から票を剝がすことが不得手と言われているが、今回の知事選は、国による沖縄自民の軽視という状況を利用し、「島ぐるみ」で支持を集めるチャンスのはずである。
三つ目に、古謝陣営を侮るな、という点である。この10年で保守系は地方議員選挙や首長選挙を起点に徐々に勢力を盛り返し、県議会で拮抗し、先の衆院選で4小選挙区全てを抑えるまでに至った。玉城知事という存在は、オール沖縄の象徴であると同時に最後の砦になっているため、国も保守系も一丸となって全力でその座を奪いにきているだろう。また、古謝の前職である那覇副市長という役職は、現那覇市長・知念覚が市長就任前に務めていたものだが、ここにもオール沖縄との因縁がある。前那覇市長・城間幹子はオール沖縄を支えた市長であり、自身の後任として女性候補者を据えようとしていたものの、その意見は聞き容れられることなく握りつぶされたという。その結果、城間は自身の部下で、信頼のおける実務家である知念を支持し、オール沖縄を離脱するに至った。この際、オール沖縄から城間に対しなされた批判は非常に厳しかったようで、この経緯を知っている那覇市民がオール沖縄支持候補に票を入れようとするのか、私は過信しない方が良いと思っている。加えて、多くの県民の間で古謝の人柄について悪い話を聞く頻度が低いことも注視すべきだと考える。「圧倒的な知名度が玉城にはある」と玉城選対が油断しているとは思わないが、相手は侮れない「タマ(候補者)」である。
最後に、私の専門分野に引き寄せて申し上げる。糸満市摩文仁の丘に建つ沖縄県平和祈念資料館は、現在、展示のリニューアルに向けて検討が進んでいるのだが、古謝は皇国史観に近い歴史観を恥ずかしげもなく表明する参政や保守が推薦したような候補であるため、古謝県政が誕生した暁には、これに介入し、平和教育を軽視した展示内容に変更する恐れがある。また、首里城地下に存在する「第32軍司令部壕」は、2032年度に展示施設として公開する計画が発表されているが、古謝県政下においてこの施設が「日本軍賛美」のような展示を行う可能性も十分ある。そもそも平和祈念資料館の前身は「靖国神社奉賛会沖縄地方本部」を起源とする「沖縄県戦没者慰霊奉賛会」(現在の沖縄県平和祈念財団)が開館させたという背景がある。さらに現在の平和祈念資料館も、2000年のリニューアル時に各種常設展示の設計・空間構成を手がけたのは、戦前に国策宣伝を担った「日本軍事工藝株式会社」を前身とする乃村工藝社であった。第32軍司令部壕に至っても、その保存公開計画と展示施設基本計画を請け負っているのは、戦前に植民地朝鮮の開発を担った「久保田工事事務所 」を前身とする日本工営である。
軍国主義の記憶は、今も沖縄にも内地にも息づいており、息を吹き返す機会を伺っている。玉城県政が継続すればそれで良いが、もし古謝県政が誕生し、平和教育に介入された場合に備え、どう食い止めるか、どう抵抗できるかを考える必要があるだろう。
(聞き手T.Y 8月26日聞書)
